UKのオルタナパンク・バンド shame、ニューアルバム『Cutthroat』を Dead Oceans から 9/5 リリース!先行シングルの表題曲「Cutthroat」のミュージックビデオを公開しました。本作『Cutthroat』は shame の「本領発揮」だ。「これは臆病者やクソ野郎、偽善者についての曲だ」とボーカルのチャーリー・スティーンは語る。「今そういう奴らが本当に多いだろ?」
『Cutthroat』は、ジェットコースターのようなものだ。これは、経験の浅いドライバーのためのもの。理由もなく、ただ速く走ることが楽しいというだけで速さを求める人のためのものだ。
それは飢えが原動力になっている。もっと良い何かを求める飢え。君には値しないと誰かに言われてきた “何か” を求める飢え。それは本能的で、荒々しく、何の遠慮もない。招待もされていないのにパーティに現れるヤツのようなものだ。
押さえつけられてきたら、あとは上がるしかない。何も持っていなければ、失うものも何もない。
– shame
この新作アルバムは、グラミー受賞プロデューサーのジョン・コングルトンを迎え、遠慮なしの強烈な作品に仕上がった。パワーアップし、過給された shame がここにいる。まさに、shame にいてほしい場所そのものだ。メンバーはまだ20代で、幼なじみの5人――チャーリー・スティーン、ギターのショーン・コイル=スミスとエディ・グリーン、ベースのジョシュ・フィナーティ、ドラムのチャーリー・フォーブス――は、shameを野心的な音のアイデアと確かな演奏力で大きく成長させてきた。
伝説的なライブや、批評家から高く評価された3枚のアルバムでその実力を証明してきた shame は、この『Cutthroat』で “新たなゼロ地点” を作り出すことを決意した。
これは、俺たちが誰なのかって話だ」とスティーンは言う。「俺たちのライブはアートパフォーマンスじゃない。直接的で、対決的で、むき出し。それが俺たちのルーツなんだ。今はクレイジーな時代だけど、『可哀想な俺』じゃなくて『ふざけんな』なんだよ。
この爆発的な新しい方向性のカギとなったのは、プロデューサーのジョン・コングルトン(St. Vincent、Angel Olsenなど)。最初の打ち合わせから、コングルトンの妥協なしの姿勢がバンドのアイデアを研ぎ澄ませる力となった。アルバム全編には shame らしいユーモアが溢れ、現代の大きな問題を真正面から、時に愉快にいじってみせる。トランプがホワイトハウスに居座り、shame がブライトンのサルヴェーション・スタジオにこもっているなか、対立や腐敗、飢えや欲望、情欲・嫉妬・臆病という普遍的な影にまで鋭い視線を向けている。
音楽的にも、本作は新たな感覚にあふれている。ツアー中の気晴らしでエレクトロニック・ミュージックを作っていたコイル=スミスは、最初はバンドの曲とは切り離して考えていたが、「いい感じなら何でもアリ」だと気付いたのだ。「今回は、良ければなんでも採用だった」と彼は語る。
『Cutthroat』の1stシングルであり表題曲は、そのアイデアを最大限に発揮し、shame 史上最高の楽曲とも言える出来になった。制御ギリギリのアティチュードを3分間に凝縮し、インディー・ダンスフロアの快楽主義を詰め込んだ楽曲だ。歌詞でも、厚かましい自信と深い不安が紙一重で共存している。
「オスカー・ワイルドの戯曲をよく読んでいたんだ。全部パラドックス(逆説)の話でさ」とスティーンは説明する。「『Cutthroat』でも、『人生は深刻に考えすぎるには大事すぎる』っていう『ウィンダミア夫人の扇』のセリフの精神を使っている。」
shame は虚勢やエゴのバブルを壊し、僕らに「最初に石を投げる者は…」と自分自身を見つめさせる一方で、「人生はしばしば滑稽なものだ」という真理も理解している。
いつ死ぬかなんてわからない。だから生きてるうちにやりきるしかない。敬虔なカトリックの子どもなら、毎晩十字架のイエスと一緒に寝てたんじゃないかな。きっとそれも影響してるよ…
その結果生まれたのが、人生の奇妙さを楽しみ、普段なら見て見ぬふりをする “醜い疑問” に堂々と向き合うアルバムだ。
「俺は質問に答えるためにここにいるんじゃない。ただの27歳のバカだからさ」とスティーンは自嘲気味に笑う。でも、『Cutthroat』が1つだけ確かな答えを示しているとすれば、それは「今の shame が過去最高のバンドである」ということだ。