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カナダのサーフ・ファズロック・バンド Tough Age インタビュー

 カナダ・バンクーバー出身、現在トロントを拠点に活動する3人組サーフ・ファズロック・バンド Tough Age (タフ・エイジ) のインタビューをお届けします!Tough Age は 3/13 に最新アルバム『SHAME』を Moorworks から日本盤リリース。本作を引っさげて9都市10公演を回る Japan Tour を 3/22〜4/5 の間に開催します。来日を記念して、バンドの中心人物ジャレット・サムソンにインタビューを行いました。インディーズで活動し、音楽を探求し続ける音楽愛。そして何と仕事や旅行も含めると今回の来日が6度目となる東京愛についても存分に語って頂きました。また来日中ディズニーシーに少なくとも2回は行きたい!と語るジャレットの人柄が滲み出たインタビューとなりました。

2016年に日本ツアーを行った際にはソロを含む4公演を行いました。初来日はどうでしたか?そこで何か面白い経験や影響を受けたことはありますか?

 2016年のツアーは僕にとっては実は3度目の来日だったんだ。最初の来日は仕事で来て (トロント・コミック・アートフェスティバルの仕事で、2015年にその仕事仲間と) 日本のとりこになってしまったよ。特に東京にはね。今度のツアーは6度目の来日になるよ!

最初のライブは本当に素晴らしかったーーカナダやアメリカで演奏するのとは全く違って、少しシュールな感じがした。どのライブハウスにも機材が揃っている!こっちではあり得ないから素晴らしいよ。4バンドがプレイする時に4つドラムセットが用意されることがかなり多かったよ。

東京は僕らを奮い立たせてくれるような都市だと思うーー建築や空間が自然と調和しているところが好きだ。起きて散歩して回るだけでとても素晴らしい。よく僕は起きて4〜5時間くらい街中を歩くので、周りがどんな感じになっているのか全体的に知ることができる。

僕の中で一番楽しかったのは、最初に当時東京に住んでいた友人のトム (Tough Age として今回のツアーでプレイするだけでなく、Tommy Tone (トミー・トーン) としてソロでも公演を行う) と一緒に行った時。Moska という小さなバーに行って飲んで、ライブを見に行った。高円寺のマヌケゲストハウスで彼のライブを見るという、忘れられない夜だった!ペニーと僕はその時の来日で白浜にも行った。オフシーズンだったのでとても静かだったし、ビーチで良い時間を過ごせたよ。

東京は僕の行ったことがある都市で、何回も行ったことのある大好きな都市なんだ!引っ越せたらいいなとも思うけど、定期的に訪れるというところで落ち着くだろうな…

最新アルバム『Shame』を Moorworks から3月13日に日本盤リリースしますね。アルバムの最初の曲「Everyday Life」はあなたが18歳の時に知った友川カズキのアルバムタイトルからインスピレーションを得ているものだということですが、友川カズキとの出会いについて教えて下さい

 友川カズキの存在を知ったのはPSFレコードを聴くようになってからだったーー当時はストリーミングなんてなかったから、音楽を聞かずアートワークで選んでいたのだけど、それがすごくピンと来たんだ。すぐに友人のパトリック (Gal Gracen という素晴らしいプロジェクトをやっている) がPSFのCD13枚ボックスセットを買った。

言葉を理解していなくても、彼の音楽のパワーや感情に深く影響を受けたよ。その後すぐに『ピストル』のDVDを買って演奏を見た。彼の声のパワーや表現、演奏を前に僕はひれ伏すような気持ちだった。ありがたいことに、アラン・カミングスのような翻訳家のおかげで理解を深められ彼の音楽や詞を楽しむことができた。Everyday Life はアルバムタイトルである『夢は日々元気に死んでいく』のある人によるひどい訳で、僕が知った正確な英訳は “Dreams Die Blithefully Day by Day” だった。この方がうまく原意を言い表わせていると思うけど、若い僕の誤訳タイトルに敬意を払いたい。

過去の秋石塚俊明との公演を含めて彼のプレイを2回見るチャンスがあったことを光栄に思う。どちらの公演も素晴らしかった。もし僕が日本語をもっと勉強して補助なしでカズキさんの言葉を自分で理解できたら、彼の音楽を聴くのは素晴らしい体験の1つになるだろうね。長い道のりだけど、力強いモチベーションだよ!

このアルバムを作る中で最もエキサイティングだったことは何ですか?

 『Shame』はバンドにとってまさしくターニングポイントになったーー引越し後、新体制での最初のアルバムで、背後に隠れて演奏させてくれるような他のギタリストを迎えなかったのも初めてだった。自分自身はベーシストだと思っているのだけど、音源の中でベースを弾いているのは1曲だけなんだ (Moorworks の特別エディションでは3曲!)。だから、自分でギターを弾くということはチャレンジでもあり、とてもエキサイティングなことだ。

また、過去に一緒に活動したことのない人とスタジオに入るのも今回が初めてだった。たくさんの素晴らしいアイデアを導き出してくれたピーターと意見を出し合えたのは幸運だった。多分最もエキサイティングだったことは、ジャンルも知らない、当てはめようとしてもどのカテゴリーにも属さない音楽を作ることができたような気がすること。それは僕にとって不安でもあるけど、良いタイプの不安でエキサイティングなんだ。

個人的に最もエキサイティングだったことは、このアルバムはとてもむき出しで、今までの作品のようにリバーブや他のミュージシャンに隠れることがなく、自分のやっていることに責任を持たなければならなかった。確実にこのアルバムは、僕が自分のために最も純粋で、正直に作ったレコードだ。

このアルバムはカナダのバンド、Freelove Fenner の Peter Woodford がレコーディング・ミキシングをされていますね。彼らとの関係性はどうですか?

僕は Freelove Fenner や他に彼がレコーディングに参加したアルバムの大ファンというだけでピーターと知り合いになったんだ。僕らのドラマー、ジェシーはモントリオールに住んでいた時から彼と知り合いだったのだけど、僕にとってピーターと同バンドのケイトリンと会うのは今回が初めてだった。今回、他の誰かとレコーディングすることは想像できなかった。

彼を一緒に活動したい人として心に留めておいたのと、ピーターとケイトリンのインタビューを聞いたときにケヴィン・エアーズ (Kevin Ayers) の “Song for Insane” を好きな曲として挙げていて、僕も共感したからだ。ピーターは自分の考えを持っているけれども、僕らが本当に求めているものを与えてくれるという点で、素晴らしい協力者となってくれた。また、彼は恐ろしく頭が良く、才能に溢れ、それでいて面白いーーレコーディングに戻る前、よく脱線して長いおしゃべりをしたよ。まだ一緒にライブでプレイはしていないんだ。是非近いうちにできるようにしたい。

バンクーバーからトロントへ引越しをして何か変化はありましたか?バンクーバーやトロントの音楽シーンについて教えていただけますか?

 僕はバンクーバーで育って、それがなければ僕が誰であるかは説明できない。小さなシーンなので、みんな寛容なマインドを持つことを求められる。例えば、他に一緒にプレイするバンドや行くライブがなくなるため、パンク、ハーシュノイズ、ディスコ、ラップ、ハウスミュージックなど、何でもジャンルの境界を越えて足を踏み入れざるを得なかった。

トロントはそれが意味のあることかどうかに関わらず、「なんとか成功させる」という人が多い都市だから、引っ越してからはちょっとしたショックを受けたよ。それだけでなく、より小規模なシーンが多少停滞しがちな都市にある気質も持ち合わせてもいる。ジャンルの境界線は各々への配慮のためによりはっきり区別されている。

両方の都市で何か面白いことをやろうと奮闘している素晴らしい人も多くいるーーバンクーバーの Red Gate やトロントの Not Dead Yet などがパッと思い浮かぶ。2つの都市がほんとうに、全く異なるということは確実に正しいよ!僕はバンクーバーのシーンが恋しいのを認めるけど、トロントのシーンの一員として僕の見たいシーンを見せられるようにベストを尽くしているよ。

バンクーバーはアートや劇、音楽などで「クリエイティブな都市」としてアーティストに優しい都市として有名ですが、ミュージシャンとしてバンクーバーで活動することの魅力について教えていただけますか?

 うーん、僕の経験から言うとその認識はかなり違っているね。僕が思うに、バンクーバーはすでに地位を確立したアーティストには優しいけれども、比較的小規模なインディー系や新人のアーティストにとってはむしろ、より厳しい。バンクーバーはアートコミュニティーが破壊されて隅に押しやられているという点で、住むには割に合わない都市だと言えるーー先に挙げた Red Gate は居住地域の高級化で退去を余儀なくされたことが過去6~7年で2度ある。

バンクーバーは Jeff Walls や Rodney Grahams などが好きみたいだけど、そういったアーティストが経済的に住む余裕のある地域状況があることによってはじめて彼らがアーティストになれるのだということを理解していない。例として、政府による99%のアートへの財政支援は約10年間ある時点でカットされ、やっと最近になって戻ってきている。

バンド結成について教えて下さい

 ペニーは初期からバンドにいて、実はバンドを名付けたのも彼女。だから最初は2人で Tough Age を始めたんだ。彼女は今までバンドに加入していたことがなくて、僕は彼女が作る音楽を聴いてみたかったんだ。それで Tough Age を始めた。トロントに引っ越した時、Tough Age はしばらくの間2種類あったーージェシーはトロントのドラマーだった。僕は個人的に彼とは10年前にアルバータ州のレスブリッジのフェスティバルで会ったことがあったけれど、その前に僕のウェブサイト、Weird Canada のエディターだった。

彼は素晴らしいドラマーだと僕はいつも思うし、僕のアーティストとしてのセンスに非常に良く合う人でもあるーーハードコアのライブに昼から喜んで行き、僕と一緒にテリー・ライリーを観に行ってくれる唯一の人である。トロントに移って来た時、僕は彼と一緒に音楽をやりたいと思ったんだ。僕らがこのバンドを組む前、ペニーは他のバンドで既に活動していて、それが Century Palm で、ジェシーと一緒だったーーじつは、同時期に彼らは4つのバンドで活動していたんだよ。Tough Age、Century Palm、Chandra そして Rotten Column とね。彼らの化学反応のおかげで万事上手くいってるようなものだよ。

Tough Age のサウンドは Flying Nun Records のバンドからインスパイアされているとのことですが、Flying Nun Records や The Clean 愛について詳しく教えて下さい。

 フライング・ナンやニュージーランドのシーンは大体、本当のポップミュージックとは何かということにおいて僕の聴く音楽の幅を広げてくれる。ただこのレーベルを見つけたということだけでも、派生した全ての作品の高いレベルの一貫性にも、僕の自信は揺らいでしまったよ。The Clean や The Bats を知っていたけれど、1人の人物によって運営されている Kiwi Tapes というブログがあるのをオンラインで知ってから、若い時に深く引き込まれてしまったんだーーこれが Chris Knox の音楽との初めての出会いで、それだけでなく、これは氷山の一角でよりマイナーなニュージランドのバンドにも人生を変えられたよ。The Kind of Punishment や The Orange、Wreck Small Speakers に Expensive Stereos、Chug など、ここには書ききれない。また、ニュージーランドのシーンは音の一貫性がないという点で僕好みで、ある種合うんだと思うーーアーティストはノイジーにプレイするし、イカれたバンドと真っ当なポップバンドの線引きがあまりない。

The Clean は僕の大好きなバンドで、2003年にライブを見に行って胸がいっぱいになったよ。Yo La Tengoと共演した時に行って、物販を全部買ったのを覚えてるけど、彼らは一体カナダドルでいくらになったのか分かってないみたいだった。僕はスターに夢中の19歳のように出待ちをして、彼らがみんなとても優しく接してくれたのが深く印象に残っている。彼らの音楽はいつも、聴くたびにどこか僕には新鮮に思えるところがあり、20年経っても、何千回聴いてもそれは変わらないと思う。素晴らしい音楽を作っている良い人、というのが結局僕が一番ハマれるジャンルだ。

Tough Age の一貫したファジーポップなサウンド・スタイルはどのように構築されたのでしょうか?

 そうなっていたら良いだろうね!先に話したように、僕は一貫性を嫌う方なんだーー多分これは若い頃から僕の大好きな Guided by Voices という偉大なバンドの影響なんだ。僕としては、僕の論調と曲の編集の仕方に筋が通っているか、一貫性によってまとまっていればと思う。

僕らの音楽のテーマは、2ndや3rdアルバムの間で順番やスタイルの変化があったとしても形にすることだと思う。僕は他の誰かのような曲の書き方をしようとは思わないし、今だに基本的には曲の書き方が分かっていないので、そうしたいと思ってもできるとは思っていない。簡単に聴こえるような曲でも何ヶ月、何年もかかることもあるし、複雑な曲なのにたった1時間でできることもある。特に今は、ペニーと僕で一緒に多くの曲を書こうとしていて、彼女の声の聴ける曲が多くなりそうなんだ。それぞれの個性がまとまる方向にバンドがシフトしていくことによって、一貫性が加わると良いね。

3月に再来日公演、今回は東京だけではなく各地も回る Japan Tour を行いますが、意気込みをきかせて下さい!

 日本に行くの大好き!Moorworks でまた別のアルバムを出せることになり、今回は東京以外も回れるのは本当に嬉しい。1年に1回は日本に来ようとしていて、それが今年も決まるかどうかわからなかったから、ツアーで来日する機会ができたことに驚いているよ。先ほども言ったように、もしできたらすぐにでも東京に引っ越したいと思っているのだけど、仙台や名古屋など行ったことのないところに行くことや、北海道でプレイできることもとても楽しみだ。

ティーンエイジャーの頃から音楽をやっているけれども、僕らの最初のツアーは今までの人生の中でも良かった公演なので、また日本に戻って来られて、より良いものを得られるというのがとても嬉しいよ。東京に来るときはいつも、想定していないようなことが起こるーー秋に来日したとき、川崎で山下達郎の公演を観に行ったんだ!その前の旅行では、不失者を観たよ。あるときは三上寛がバーで他のたくさんの人と演奏しているのを観られた。いつも僕が日本にいる時には思いがけない嬉しいことが起こるみたいだ。

何か今回の Japan Tour で楽しみにしていることなどはありますか? (絶対行ってみたい場所など、食べたいものなど何でも Okay です。)

 食べ物の話だと、東京に着いたらペニーはいつも僕らを東京駅の T’s たんたん (肉・魚介類・乳製品・卵を一切使わずに、コクと旨みのある担々麺などを提供してる) にまっすぐに向かわせるよ。僕は肉も食べるけど、お気に入りのラーメンだ。高円寺の El Pato (エルパト) にもいつも行くし、ここは僕らが多分世界一好きなレストランだ。もっと小さなところで名前も知らないけどたくさん行ったところもあるよ。どうやったらそこにたどり着けるか知りたい。コメダ珈琲も(あまり公言するほどではないけど)大好きだし、(それほど公言するのに抵抗を感じない) About Life や Paddlers Coffee も大好きだ。

ツアーが始まる前に数日間東京で時間があるので、レコードを買いに行くのを楽しみにしているよ。特に好きなのは高円寺の Los Apson? と中野ブロードウェイの Mecano。友人の Masahiro Takahashi のライブを観に行くのも楽しみだ。彼は最近の中でのお気に入りのミュージシャンの1人だからね!

また You Said Something というバンドと一緒に北海道でプレイするのも本当に楽しみだ。僕の友人 Keith と Minori は札幌に住んでいて、YSS を僕のために演奏してくれてすごく気に入ったし、2公演を彼らと一緒にプレイできるのはワクワクする(1公演は僕の誕生日なんだ!)。

最後に、僕はディズニーシーに少なくとも2回は行こうと思っている。なぜなら、僕はそういうタイプの人間だからだ。

Tough Age Japan Tour 2019

3/22 (金) 浜松 Kirchherr w/ Ryder Havdale
3/23 (土) 松本 Give Me Little More + Tommy Tone
3/24 (日) 仙台 SHAFT w/ Tommy Tone
3/26 (火) 大宮 hisomine
3/27 (水) 神戸 Helluva Lounge
3/28 (木) 大阪 TBA
3/29 (金) 苫小牧 Elle Cube w/ You Said Something + Tommy Tone
3/30 (土) 札幌 Sound Crew w/ You Said Something + Tommy Tone
3/31 (日) 名古屋 k.d.japon
4/05 (金) 高円寺 Studio Sound DOM w/ Tommy Tone