interview :
Tomato Ketchup Boys『The First Encounter Of This Odyssey』インタビュー | 少年と青年の狭間で

Photo by Daiju Segawa

静岡県浜松市出身の3人で結成されたロックバンド、Tomato Ketchup Boysが結成約4年にして初めてのフルアルバム『The First Encounter Of This Odyssey』をリリースした。

Tomato Ketchup Boysのこれまでを詰め込んだこのアルバムは、オルタナロックやガレージロック、エモ、ハードコアなどの様々な音楽への愛が詰め込まれているだけでなく、ロック好きの少年が様々な人に出会ったり色んな経験をして大きく成長していくようなストーリーが思い浮かんだ。

インタビュー中、やりとりの中でベースの石川がギターボーカルの晴揮(鈴木)に「これってバンドとして伝えたいこと合ってる?たまに食い違うことがあるから…」と確認をとっている時に晴揮が「そんなことない。食い違うことないよ。」と真っ直ぐに返していたのがとても印象に残っていて、その一連のやりとりを見てTomato Ketchup Boysのスタンスや真髄に触れたような気がした。

今回のアルバムが完成するまでにおいてTomato Ketchup Boysが影響を受けたものや彼らがこのアルバムで伝えたかったことについて、詳しく語ってくれた。

Tomato Ketchup Boys:
鈴木(Vo/G)
石川(B/Cho)
武知(D/Cho)

高校時代に3人で共有していた音楽が根底にある

– 1stアルバムリリースおめでとうございます。
このアルバムに入ってる曲は、普段ライブでよくやっている曲もあれば今回初めて出す新曲もあると思うんですが、どのくらいからこのアルバムの制作を本格的に始めたんですか?

晴揮:レコーディング自体は今年の5月末あたりだけど、アルバム作りたいねーって話は1年くらい前からしてたよね。
「Mother Ship」ができた時にこれはもうアルバムの最後だなって決めてて、もしかしたらその時からアルバムについて考えてたのかもしれない。

石川:1年くらい前からなんとなく3人の中でイメージはあって、実際に作るってなったらコロナもあったしぐちゃぐちゃしちゃったけど、逆に(コロナの影響でライブが)ストップしたおかげでできた部分もあるかも。

– アルバムを作りたいと話していた時からこの1年間で変化したことはありますか?

晴揮:色々変わったよね。スタイルも変わったし思想的にも変わったし、アルバムに対しての考えも変わったし。聴く音楽も変わったよね。それこそ一年前とかって聴いてた音楽はインディーロックとかだったよね。

武知:今はソウルとかJAZZとかを聴くことが多いけど、1年前はインディーロックの方が聴いてて、その時と比べると今はガラッと変わった。

晴揮:一気に聴く音楽とかが変わって、当時の感覚と今の感覚じゃ違うから同じ曲を一年前と今でやってると単純に曲のクオリティが上がったとかの話じゃなくて、プレイスタイル的にも若干違う気がする。

– じゃあこのアルバムはTomato Ketchup Boysの今というよりはTomato Ketchup Boysのこれまでって感じなんですかね。

晴揮:そうですね、ベストアルバムじゃないけどそういう感じですね。

石川:そうですね。どうしてもバンドってトラックメイカーの人とかと比べて作るスピードとか物ができあがるまでが長すぎて、今の俺らを表現した物がすぐにはできなくて、それが逆に難しいところなんですけど。

だから今までっていうことになるし、あえてそうした部分はあるよね。晴揮のSF少年ものからの影響も、俺たちの今その瞬間じゃなくて、ちょっと晴揮のノスタルジーもありつつ、あえてそこに焦点を合わせて作品を作り上げたっていうイメージの方が大きいかもしれないですね。

フレーズとかも今までの自分たちが考えてきたものをやってるからできる限り今の感覚にフィットするように練り直してはいるけど、今までの集大成って考えてくれた方がいいかもしれないですね。

– 3人で共通して好きな音楽ってなんですか?

石川:2000年代とかの日本でいう「ガレージロックリバイバル」と呼ばれているような、The LibertinesとかThe StrokesとかThe Vinesとかが根底としてあるし、今回のアルバムの根底には流れているんじゃないかなと思います。

晴揮:根底が高校時代に3人で常に共有していたさっき石川が言っていた音楽で、今俺らの中で共通してあるのはリアルタイムの日本のバンド、例えばKiliKiliVillaのバンドとか、Less Than TVのバンドとか、自分たちが実際にライブで見ているバンドの影響はかなりあって、だからどう折り合い付けようかなっていつも思ってて。
俺たちが持っているものもあるけど、作っているのは現代だし、だから現代で自分たちが見ているものは取り入れたいし入ることが自然だなみたいな感じで作ってます。

石川:だから無理に寄せたりとかはしないで、自分たちが感じてるものをできるだけ素直に表現するようにしてます。

晴揮:パッと聴いた人は「Oasisっぽい」とか◯◯っぽいって言うと思うんだけど、ちゃんと聴いてみると意外とそうでもない。
「Portrait」とか「Phase」っていう曲は全然そういう要素ないよね。

石川:「Phase」とかはエモとかポストハードコアみたいな要素もあるよね。
日本のいわゆる叙情系みたいなのじゃなくて、本場よりだけど自分たちが見ている光景にフィットするように練ってるというか。

– Tomato Ketchup Boysのみんなはパンクとかハードコアも好きなんですね。

晴揮:大好きだね。

– Tomato Ketchup Boysの音楽は誰でも聴きやすいし、ジャンルで括ることができないし括ることがもったいないというか…

晴揮:おおー笑

石川:俺らの曲って暗くないよね。

晴揮:超元々を辿ると、ガレージロックリバイバルとかにたどり着く前はThe Beatlesとか聴いてたし、The ClashとかSex Pistolsとかも大好きだし、70年代のパンクから入ったけどガレージロックリバイバルっていうのがあるんだみたいなのがあったからそっちにいったんだけど。多分(自分たちの)曲とかは単純なんだよ。Ramonesみたいな、全然違うけど笑

石川:でもルーツ的にはそこに辿りつくんだろうね。

– でも歌詞は明るくないですよね、人の心の内側のことが書かれているというか。

晴揮:曲調が明るかったり、メジャーのコードが多かったりするのは多分仲良い友達とかに宛てて作ってるからそうなるんだけど、歌詞作る時って一人だから、俺は多分自分の生活の中以外のことまで想像力を広げて書くことが難しくて。俺は夜とか一人の時間とか孤独な時間に歌詞を書いてることが多くて、そういう時って友達のこととか自分の中にある暗い部分を考えがちじゃん、だからそういう歌詞になるのかな。

– 「Tilt」や「Certain Romance」などの歌詞で「バス」というワードがちょいちょい出てくるなと思ったんですけど、晴揮くんにとってバスは身近な存在だったりしたんですか?

晴揮:バスってどっかに連れてってくれる感じがして。でも自分では無意識だったけどバスって言葉をそんなに使ってるのは。もしかしたらだけど、車とか自転車とかって自分で漕いでいくものだけどバスって他人が連れてってくれるみたいなことの比喩なのかも。

石川:まあね。THE BLUE HEARTSの「青空」もそうだしね。どっかに連れてってくれるみたいな意味はあるのかな。

晴揮:バスってさ、俺の頭の中だけどバスを想像すると景色っていうより真っ白な光の中を走るバスの後ろ姿が見えてるの。ってことはなんか明るい方向に連れてってくれる何かなのかなみたいな。
自分が想像する時はバスだけど、実際に自分がやるんだって時に船(Mother Ship)に変わるのかなもしかしたら。笑 能動と受動みたいな。

「Certain Romance」の歌詞で「Super Big Spaceship」って言ってる歌詞があるんだけど、そこで切り替わってるってことは、自分が動き出す時は宇宙船的なイメージなのかもしれない。

– 切り替わっているとはどういうことですか?

晴揮:そもそも「Certain Romance」は悩んでて結局音楽が続けられないってなって解散しちゃったバンドの友達にむけた曲なんだけど。

前半の歌詞は「そんなに頭抱えんなよ」みたいな歌詞で、その時にbusとかを使ってて、Bメロとかに入って盛り上がってくるタイミングで「Super Big Spaceship」に変わってて、こいつらの思いを自分が乗っけて俺らがやるわみたいな、多分そういう転換。無意識でそういう風に書いてるのかもしれない。

– ライブでのアンセムになっていて、PVにもなっている「Blue Moon」について教えてください。

晴揮:「Blue Moon」は「Mother Ship」とかの感じと近くて、地元に帰省してたタイミングで初めて地元でワンマンをやろうって時にできた曲で、俺らが突っ走っていくために作った曲。早くて短くて勢いのある曲を書きたいと思って、だから歌詞も勢いのある歌詞にしたんだけど。開幕する宣言みたいな感じかなー。ヨーイドンのピストルみたいな。

– ライブで聴いたことある曲が多かったから、ライブハウスでの風景が思い浮かびました。

石川:まあ実際見えてる景色はそれでしかないもんな。ライブやってるのがイメージにあって、もちろんSFとかの要素はあるけど。

Photo by Ryoma Tsukamoto

– Tomato Ketchup Boysのライブを見たことない人がこのアルバムを聴いてどう思うのか気になりますね。

晴揮:くすぶってた高校時代の俺みたいなやつに響いてほしいですね。世の中にいっぱいいるから絶対。田舎の若者だってサブスクはしてるじゃん、そいつがたまたまサブスクで俺らのアルバムを見つけて「わーなんだこれ!」ってなってくれたら嬉しいよね。

みんなが帰ってこられるバンドになりたい

– アルバムのジャケットについてなんですけど、真っ直ぐな目でどこかを見つめている少年にとても惹かれました。ジャケットのイメージについて教えてください。

晴揮:Mother Ship的な未知のものを少年が見つめている、それが要はCDを聴く人的な立ち位置にしたくて、ジャケットを描いてくれた人には宇宙船とか未確認飛行物体の光を浴びてそれを見つめている少年を書いて欲しいっていう風に伝えました。

絵を書いてくれた人は高校の時から仲良い静岡のデザイナーの友達が紹介してくれた人で、インスタ教えてもらって見たらめちゃめちゃ良くて。それで速攻引き受けてくれたんだけどまじで伝えたいこと全部伝わったって感じ。

石川:CDの裏ジャケットはワンマンのフライヤーの画像なんですけど、あれを少年が見つめているっていう。

– アルバムのタイトルが、私は旅みたいなものを想起させるようなタイトルだなと思いました。

晴揮:俺はバンドって音楽っていうことの範囲よりもっと広い意味があると思ってて、バンドって人が作り出してるものだし、メンバーの中で色んな思考があって作られているものだから、単純にバンドは音楽っていうよりはメンバーの歩んでいく道のりを含めて面白いのかなって思ってて。だから俺らはこれから音楽をやることもそうだしライブやったりとか色んな活動が1つの物語みたいな、振り返った時にそういう風になるんじゃないかと思って、そう意味では旅みたいなものですかね。

石川:エモいね笑。

晴揮の趣味として映画っていうものがあって、タイトルの「First Encounter」=『未知との遭遇』とか、そういう映画とか少年SFものっていうのが念頭にあって作ってはいました。

晴揮:タイトルの話をすると、『未知との遭遇』の原題が「Close Encounters Of The Third Kind」ってタイトルで、『2001年宇宙の旅』の原題は「A Space Odyssey」ってタイトルで。SF映画のタイトルをもじったっていうのはタイトルの背景としてあります。

– このアルバムにおいて最後の曲の「Mother Ship」が重要なキーを握ってるなってアルバム通して聴いて思ったんですが、みんなが思うMother shipという言葉のイメージってありますか?

石川:元々晴揮が命名したんだよね。

武知:No Busesと俺らが一緒に企画やるってなって(その企画名がMother Ship)、お互いが辿ってきたルーツって意外と近いんじゃないかっていう意味合いもありつつ。

晴揮:だから曲を作ったのはその企画の後ですね。
意味としては、直訳すると母船って意味なんだけど、企画でMother Shipって名前を付けた時はNo Busesと俺らのことについて考えた時に、No Busesのドラムのisseyは武知と高校が一緒で、地元は俺らと一緒でみたいなのがあって、田舎のころからずっと続いてきてる関係性や、曲作ってる俺とNo Busesの大彗が辿ってきた音楽って意味でももしかしたら同じような道を辿ってきてるかも知れないなって思って。

俺らとNo Busesのツーマンを船と例えた時にみんなが乗り込んでこれて、それでみんなを連れて行くみたいな感じで企画名は付けた。

曲としてはさらにもっと深く考えて、ほとんど企画で意図してたことと同じだけど、Mother Shipって言葉をもう1度Tomato Ketchup Boysとして消化し直して、最後の日本詞のところで言ってることがほとんど結論ではあるけど、俺たちが求めて見てきたものって1つのイメージにしかすぎなくて、しかもそれっていうのは変容していくものだから確かなものではない。でも俺らの関係性とか作ってきたものはずっと変わらないなみたいな…
一言では言えないけど、俺らっていう仲間たちは変わらないってことを最終的に思った。

石川:でもぶっちゃけ捉え方は人それぞれでいいと思う。

晴揮:そうだね、それは前提としてある。
みんなが帰ってこれるバンドになりたいっていうのを思っていて、俺自身が最近の色んなムーブメントを見て頭がぐちゃぐちゃしちゃう時があってMother Ship的な、家とか俺らがいる場所に戻ってこれたらすごい安心するから。「Revolution Summer」をはじめ、俺らの中にある帰ってこれる場所が「Mother Ship」なのかもしれないですね。

– Revolution Summerというチームで活動し始めたのはなぜですか?

晴揮:俺たちってめっちゃライブやってるじゃん、でも出るライブ出るライブ結構メンツ違ったりとか、この年にしては信じられないくらい色んなバンドとやってて。

普通これくらいの年代って仲間内でライブやったりとか界隈みたいなのがあるじゃん。でも俺らにはそういうのがずっとなくて。
俺らってどこに属してるんだろうねっていうのがなんとなくずっとあって、コロナが流行り出したタイミングで自分のことについて考える時が増えたりしてどんどん心が疲弊していく中で、SNS開くと頭痛くなってくるし。

Revolution Summerを立ち上げた理由は2つあって、一つは自分たちが自分たちらしくいれる居場所が欲しかったっていうので、たまたま周りに映像とってくれる友達とか写真を撮ってくれる人とがが周りにいて、みんなでなんかやろうよってなったっていうのと、もう一つは今誰でも好き放題言えるような世の中で、自分たちが大事なことを落ち着いて発信できる空間が作りたかった。

だからRevolution Summerの曲の歌詞も春先から夏の期間家にずっと籠もって、それについて考えて書いた歌詞です。

石川:まあでも最終的に発信して伝わってほしいっていう風には俺は思ってなくて、自分たちが思っている確かなことっていうか足を止めて見る景色を一緒に感じられる仲間が欲しくて、だからそういうのを映像とか写真とかで収めてくれる友達とか、みんなそんなに有名な人たちじゃないんだけど、みんなでそういうのを共有できて、それがバンドの活動と一緒にやってくれる友達がいれば嬉しいなってノリでつけただけだし、これから色々グッズとか映像も出る予定だし、チェックしてくれたら嬉しいです。

Photo by Daiju Segawa


背伸びしたいけどできない

最後に、Tomato Ketchup Boysの今後について少し聞きたいです。

晴揮:ぶっちゃけ結構悩んではいます。「ライブバンド」って意味では煽れないし、ライブがしにくいっていうのが一番ダメージでかいから正直結構悩んではいて、かと言ってらしくないこともしたくないから、それも常に念頭に置いてて。

– 等身大のことをしたいって感じなんですかね。

晴揮:そうだねー。ふんわりしすぎてるけど。

石川:なんていうのかな、背伸びしたいけどできないんだよね俺ら。
憧れもあるし、こういうことやれたらかっこいいねとか思うけど、結局Mother Shipみたいな安心できる場所もあるからそういう方向に持っていっちゃうっていうのが、俺らの悪いところでもありいいところでもあるかもしれないです。

晴揮:でも前向きではあって。頑張りたい。

とりあえずアルバム丸々聴いてほしいですね。
簡単にスッと聴ける音楽の方が割と好まれるじゃん今は、そういう時だからこそ音楽の心に響く力みたいなのを俺は信じてるから。それを体感してほしいです。

Text by ゆーかり(Twitter @earlyspring33

Tomato Ketchup Boys Official
Twitter @ketchup_boys
Instagram @tomato_ketchup_boys