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Gruff Rhys、7作目となるソロアルバム『Seeking New Gods』インタビュー

英ウェールズの国民的バンド、Super Furry Animals (スーパー・ファーリー・アニマルズ) のフロントマン Gruff Rhys (グリフ・リース) が7作目となるソロアルバム『Seeking New Gods』を5月21日にラフ・トレードよりリリースした。ビースティ・ボーイズのプロデューサーとして知られるマリオ・C ことマリオ・カルダート Jr.がプロデュースを手掛け、グリフらしいサイケデリックでオーガニックなサウンドに仕上がっている。

新たな神々を求めて」というアルバムのタイトルについて、〈僕たちが生きているこの悲惨な時代についての、猛烈にダークなジョークだよ〉と語るリース。今作はコロナのパンデミック以前にすでに完成していたため、〈今回のアルバムは、音楽的にも歌詞の面においてもコロナの状況とは関係のないもの〉とのことだが、世の中がコロナ禍で閉塞感を抱え、出口が見えない今だからこそ、彼のユーモアセンスやチャーミングさ、優しいサウンドが一層心に染み、巡り合わせたかのようにぴったりのリリース時期となった。

北米ツアーでアメリカ大陸を車で横断中に曲作りを行い、成り行きに任せ辿り着いた砂漠のスタジオでレコーディングすることになったという、まるでロードムービーのような制作プロセスなど、今作を深く楽しめるエピソードを語ってくれた。

質問作成:Indienative / 通訳:青木絵美

モハーヴェ砂漠でのレコーディングは自然な成り行きで起こったことだし、楽しかった。砂漠は湿度がないから、その影響で音響も変化するんだ。

―今回のアルバムジャケットは、北朝鮮と中国の国境にまたがってそびえる白頭山がインスピレーション源になっていて、現在の白頭山の姿とは異なる若き日の白頭山をイメージしたものとのことです。長年にわたりアート・ディレクションを担当しているマーク・ジェイムスにこのイメージを伝えるのは苦労したのでしょうか?

あのイメージはマークによるアルバムの解釈なんだ。アルバム自体も抽象的な内容になっているし、僕は白頭山をインスピレーションとして始めに使っていて、その後、アルバムは個人的な意味を増して行った。だから僕は抽象的な山というものを求めていたのかもしれないね。白頭山の正確な描写ではなくて、中立的な山というものを。

だからマークがあのイメージを作成した時も、アルバムの音楽からインスピレーションを受けたのだと察して、特に何も言わないでおいた。だからプレスリリースでは、このイメージは白頭山の正確な描写ではないと言ったんだ。山のアバターのような、新しい方法で表現したかったんだ。アルバムのテーマの1つに「減衰」や「劣化」というものもあるからね。

―ではジャケットを見た人には、アバターのような、抽象的な解釈をしてもらいたかったということでしょうか?

ジャケットはマークによる音楽の解釈だよ。とても美しいと思った。現在の白頭山と関連性がないから少し心配になったけれど、白頭山は作曲過程の背景にあった元々のインスピレーションだから、原型から離れた抽象的なイメージになったことに対して嬉しく思ったよ。

―そもそも白頭山に興味を持ったきっかけというのは何だったのでしょうか?

アルバムとは関係ないんだけど、韓国人の映画監督シン・サンオクについての本を読んでいたんだ。その中で彼が白頭山について触れていて、僕は興味を持ち白頭山について詳しく調べた。白頭山には、神話的にも地理的にも素晴らしい歴史があって、重要な自然遺産なのだということが分かった。それから、僕はすでに伝記を元にしたアルバムをいくつも作ってきたから、そのテーマを離れて、もっと長い時間の流れについての音楽を作ったら面白いんじゃないかと思ったんだ。

だから、地形の伝記・記録について書こうと思って(笑)、そのテーマに合わせて物語を加えていこうと思った。でもそれが上手く行かなかった。人間の伝記について音楽を書く方が簡単で、歴史に関する曲を書くのはずっと難しかったんだよ(笑)。最初に作曲を始めた時は、曲の中に史実の日付や歴史的事実がたくさん含まれていた。でもあまり上手く行っていないと感じていたよ。

その後に、「Mausoleum of My Former Self」を書いたんだけど、その曲はそれまでに書いていたものよりずっと抽象的だったよ。自分を山に見立てて書いた曲だったからね。そういう作曲方法の方が上手く行くと気づいたんだ。何かを学ぶのではなく、何かを感じるということ。曲を聴いて何かについて考えるのではなく、何かを感じられる曲を作りたいと思った。そういう方が音楽として良いものができると思ったんだ。

―今作では全体に渡り「山」に関する表現が多く出てきますが、山で過ごしたりするのが好きなのでしょうか?

そうだね。僕は山岳地帯の出身だから、山にいると落ち着くよ。今はウェールズの首都カーディフに住んでいて、ここはとても平坦なんだ。だから山に対してはある種の懐かしさを感じていると思う。

―普段から登山やハイキングをしたりします?

子供の頃はね。僕の父親がハイキングや登山にとても興味を持っていて、登山に関する本も何冊か書いているんだ。だから父は完全に山に夢中だったね。だから子供の僕も一緒に連れて行ってもらったことが何度もあった。でも子供の頃に山に登り過ぎたのか、大人になってからはあまり登らなくなってしまったね。

―「Loan Your Loneliness」のミュージック・ビデオは日本の60年代のポップ番組を意識したとのことですが、具体的にどんな番組を観てインスピレーションを得たのでしょうか?

これもまたマーク・ジェイムスが手掛けたもので、彼が日本のどのテレビ番組を観ていたのかは分からないな。でも僕たちは、ドイツのテレビ番組で「Beat-Club」というのをよく観ていて、ミュージック・ビデオのインスピレーションになっているよ。

―最後のほうに出てくる愛らしい動きをする恐竜たちも印象的ですよね。このミュージック・ビデオにどんな思いを込めたのでしょう?

この曲はプログレッシブ・ロックの響きがあって、昔のプログレッシブ・ロックの多くは「dinosaur(注:恐竜という意味だが、時代遅れの人や物を指す表現でもある)」と呼ばれているんだ。だからマークはプログレッシブ・ロックを恐竜で表現したかったんじゃないかな(笑)マークはプログレッシブ・ロックではなくパンク音楽が好きなんだよ。だからプログレッシブ・ロックのメタファーとして恐竜を持ち出したのかもしれないね。

―さて、今作の新曲の大半がモハーヴェ砂漠にあるスタジオでセッションしレコーディングされたとのことです。あなたの作品やツアーにも参加していたウェールズのシンガーソングライター、ケイト・ル・ボンのすすめでこの地に赴いたそうですが、具体的どんなアドバイスを受けたのでしょうか?

2018年にリリースしたアルバム『Babelsberg』の北米ツアーをしている時には、このアルバムの曲を練習し始めていたんだ。一緒にツアーしていたミュージシャンたちはみんな素晴らしくて、僕たちはとても早いペースで新曲を発展させて行った。ライブの時にも新曲を演奏したりしてね。

そこで、「この新曲たちは本当にいい感じだから、すぐにでもレコーディングしよう」ということになった。ちょうどロサンゼルスで公演があったから、ロサンゼルスのスタジオを予約しようとした。僕は、ロサンゼルスに住んでいるケイト・ル・ボンに電話をかけたら、彼女は砂漠にいて、ジョシュア・ツリーでアルバム『Reward』のレコーディングしていた。彼女は僕にこう言った。

「ロサンゼルスじゃなくて、砂漠に来てレコーディングした方が良いわよ!」だから僕も「分かった!」と言って、砂漠に行くことにした。でも数日後に彼女から連絡が来て、彼女のスタジオは使えないが、別のスタジオを見つけたということだった。Rancho De La Lunaというロック音楽の界隈ではかなり有名なスタジオで、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジなどもそこでレコーディングしている。だから僕たちはそこへ行き、数日間だけ滞在して、ツアーの最中に演奏していた音楽を録音した。自然な成り行きで起こったことだし、楽しかったよ。

―モハーヴェ砂漠といえば映画『バグダッド・カフェ』の舞台として有名ですが、スタジオがある場所も映画に出てくるような殺風景な雰囲気なのでしょうか?

その映画はメモしておかないとだね。是非観てみたいな。スタジオの場所は確かに殺風景な場所だったよ。僕たちは、滞在先として、スタジオから数百メートル離れた場所に小さな家を借りた。砂漠の辺りはとても美しいところなんだけど、録音するものがたくさんあり過ぎて、辺りを散策する時間はあまりなかったんだ。

それだけが残念だったね。でも最終日には、空港に行く途中に回り道をして国立公園に寄ったよ。僕はあの地域には過去に何度も行ったことがあるんだ。だから今回はあまり長居しなかった。でもレコーディングの時間は最高だったよ。砂漠は湿度がないから、その影響で音響も変化するんだ。僕の声だって変わるんだよ。湿度がないから、音が全てシャキッと響くのはとても良かった。

―国内盤CDの特典として、「Tropical Messiah」がボーナス・トラックとして追加収録されていますよね。この曲にある「典型的な南国の救世主」とは誰を指すのでしょうか?

これは抽象的なイメージなんだけど、当時僕はメキシコの政治について読んでいて、この曲のタイトル「Tropical Messiah(南国の救世主)」はメキシコの政治についての記事から取ったんだ。曲の内容としては、自分について歌っているんだけどね(笑)。この曲は、アルバムからは外したんだ。あまり意味が通じないかと思ってね。楽しい曲だけど、アルバムのテーマや音楽的テーマに合わないし、他の曲と違うと思った。でも素敵なポップソングだと思うよ。

―とても楽しい曲ですし、日本のリスナーは喜ぶと思います!歌詞の中の「Zの文字に点(チョン)をつける」はどんな意味なのでしょうか?

これは、「cross the sea(海を渡る)」という表現が元になっていて、それを文字った冗談というか、おかしな歌詞になっているんだ。「cross the sea」ではなく、「cross the z」とね。不条理な冗談と言うのかな。

―では実際のところは「Zの文字に点(チョン)をつける」と言う意味ではないのでしょうか?

その意味もあるよ!「cross the t (t を書く時にその横棒を引くこと)」という表現はよく使われるよね。だから、人々はよく「cross the sea」も「cross the t」もしているのに、「cross the z」については十分な言及がなされていないと感じだんた。だから曲に入れようと思った。だから、複数の意味があるんだよ。僕は言葉遊びが好きで、作曲とはクロスワードパズルみたいなものだと思っている。作曲している時は、言語のパズルを解いているような感じがするんだ。

―この曲は特に言葉の音とリズムが良いですよね!

僕がギターを弾くときはミヒャエル・ローターを常に意識しているからね。

―ノイ!やハルモニアのミヒャエル・ローターがおそらく一番好きなギタリストとのことで、かつてお気に入りのアルバムの一つに彼のソロアルバム『Flammende Herzen』を挙げていましたね。今作で彼の影響が色濃く出ている部分はどこかありますか?

個別の曲で影響が出ているものはないかもしれないけど、僕のギターの音色はミヒャエル・ローターに影響されていると思う。今回は、キーボードと合わせながらギターのサウンドスケープを作っていくのを楽しめたし、僕がギターを弾くときはミヒャエル・ローターを常に意識しているからね。

彼の音楽は1970年代の音楽に大きな影響を与えてきたものだし、このアルバムもその同じ時代が大きなインスピレーションとなっている。僕はあの時代にデュッセルドルフから生まれた音楽が大好きなんだ。ノイ!やミヒャエル・ローター、デュッセルドルフから発生した数々のバンドたち。ミヒャエル・ローターはクラフトワークの一員でもあった。僕はツアーでドイツに行くといつも、その時代のレコードを探しに行くんだよ。

―今作の大半は2019年8月の時点でリミックスまで完了していたとのことです。2年弱という長い時間を経てリリースに至った理由を教えてください。コロナのパンデミックの影響もあるのでしょうか?

『Seeking New Gods』の制作を始めてから、アルバム『Pang!』の制作も始めたんだ。『Pang!』は予想していたよりも早くに完成した。そこで『Pang!』のアルバムツアーを行った。パンデミックの影響がなかったら『Seeking New Gods』は去年リリースすることができたかもしれない。

でもレコード会社から、コロナの影響で今後どんな状況になるか分からないから急いでリリースする必要はないと言われた。だから時間をかけてアルバムの準備をしてジャケットを完成させた。今回のアルバムは、音楽的にも歌詞の面においてもコロナの状況とは関係のないものだったから、状況がもう少し良くなるまでリリースを遅らせても良いと思ったんだ。

―コロナ禍はどのように過ごしていましたか?

僕には今、家庭があって小さな子供がいるから自主隔離している時期がほとんどだった。学校も休校になっていたし。パンデミックが起こった最初の数ヶ月は音楽の仕事をしようと思わなかった。子供たちの面倒を見たり、家で子供の勉強を見たりして、とにかく毎日を過ごしていた。最近は状況も良くなってきて、学校も再開したから、僕は映画音楽の作曲をしている。今はその仕事を毎日しているよ。だから新しい生活の仕方に徐々に慣れてきているというところかな。

―ソロ活動でコンスタントに作品を発表するだけでなく、スーパー・ファーリー・アニマルズやネオン・ネオンといったバンド活動、様々なアーティストの共演、最近ではヤン・ティルセンのベスト・アルバムにも参加したり…と、とても一人の人間がすべてこなしているとは思えないほどの幅広い活動ぶりです。様々な活動を同時進行でこなすうえで意識していることはありますか?

確かに、常にツアーをしていた時期もあって、その時は家族がいなかったから、複数のプロジェクトを同時進行することが比較的簡単にできた。仕事に関わっているみんなに僕の時間のほとんどを提供することができた。僕の人生のある時点において、そういう活動の仕方はうまく行っていた。2000年初期の頃だと思う。

今では当時のように多くのことを同時進行できない。家庭や妻とのバランスを意識するために、最近はソロアルバムを中心に作ってきた。だから活動もかなり簡易化させたんだ。以前と比べて、もっと家にいる必要ができたからね。それでも音楽に対する情熱は保ったまま生活を続けていると、ヤン・ティルセンなどが連絡を取ってくれたりして、面白い体験ができた。彼はイギリス沿岸の、大西洋にある島に住んでいて、廃墟のディスコを自分のスタジオにしている。僕は彼に会いに行くために船に乗らなければいけなかった。

とても刺激的だったよ。そういう出会いがあると、まだまだ可能性を感じるし、他のミュージシャンと演奏すると、とても大きな学びの経験になる。ヤン・ティルセンは非常に興味深いプロデューサーで、彼がピアノを弾き、僕がライブで歌ったんだけど、個性があるテイクが撮れるまで、何度も何度もレコーディングした。とても面白いレコーディングの仕方で、僕が今まで経験したレコーディングプロセスの中で一番徹底していて綿密だったと思う。それは僕にとって大きな学びだったよ。だから機会があるときはミュージシャンと一緒に仕事をするようにはしている。新しいことを学ぶことができるし、今後の自分の音楽にも活かしていくことができるからね。