時代に合わせちゃいけない、本物の芸術を求めて
岡本太郎が1930年代のパリ時代に親交のあったピカソについて語っている動画を見た。そこでは太郎の芸術論が熱く語られている。戦前のピカソはそれほど人に知られていなかったという、美術界では大変なものだったけど。
1907年、ピカソは後に革命的な作品として世界に知られることになる『アヴィニョンの娘たち』を制作した。この作品を見た当時の仲間、ブラックやマチスは、「ピカソが、ペトロード (安酒) を1リットルでも飲んで、それで描いたんじゃないか」とバカにしたという。
それから約10年近く経って、ピカソが展覧会をやって初めて彼は『アヴィニョンの娘たち』を発表した。すると、芸術運動の協力者や仲間、みんなにバカにされて悪口を言われた。それから一般の大衆も全然見もしなかったという。
それからまた10年経って、シュールレアリズムの運動の時に、印刷されたのが初めて一般公開された。それからまた10年くらいして、だから40年くらいするかな、パリでもって『アヴィニョンの娘』が展示された後にニューヨークに行ってしまった。
つまりピカソの作品に時代が大衆が追い付くのに20年、30年ぐらいかかったという。これは芸術の世界の話で、ゴッホとかゴーギャンとかにも通じるんだと思う。ゴッホについては岡本太郎もその最後を次のように書き留めている。
弾丸を身体のうちに入れて、黙って煙草をふかしていた、
まる一日、その凄み、重さは
それまでの彼の全生涯に匹敵する。
彼は死が、残忍なにぶさで刻々と迫ってくるあの一日間
まだ開かない新しい世界に生きていたのだ。
黙ってそれを見つめながら、
誇らしく敗北したまま彼は死んで行った。
(ゴッホは生前、絵が1枚も売れなくて、経済的な困窮と孤独と精神的苦悩の中で37歳で拳銃自殺した)
太郎のピカソの話聞いて、私は Lamp に思いを寄せた。東日本大震災の年にラジオから流れてきた Lamp の音楽に耳を奪われた。当時は『東京ユウトピア通信』がリリースされたタイミングだった。
その後 Lamp は自主レーベルを立ち上げ、2014年にアルバム『ゆめ』をリリースする。個人的には最高傑作だと思うこの作品は、当時はそんなに評価されなかったのかもしれない。しかしバンドは地道にリリースやライブを続け、2024年には北米ツアーを成功させる。
各会場いっぱいになったライブ会場を見て、非常に感慨深い気持ちになった。Lamp が苦悩しながらも一生懸命に作品を作り、自分たちのペースで活動を続けているのを陰ながら見守っていた。Lamp がアルバム『ゆめ』をリリースして10年の歳月が流れたことになる。
岡本太郎は「時代に合わせちゃいけない。時代に合わせなければ絵は売れないし、評判にもならない」と言う。本物の芸術というのは、ピカソのように、10年、20年、30年という時をかけて、ようやく世界に時代に滲み出ていくものなのだと、改めて思った。
2014年にリリースされたアルバム『ゆめ』は、次のように紹介されている。
君の横顔 海辺のメロディー 風がさらった 四季のゆめ
2014年2月5日、Lampニューアルバム『ゆめ』、時代の影に滲み出す。
私はこの文章だけで、Lamp のメロディー、例えば「シンフォニー」「さち子」が流れ、涙が出そうになる。